慈悲
長部経典
趣旨一致
長部経典(DN34 §1.7.59–1.7.67)
Yet somehow my consciousness still follows after signs.’ Furthermore, a mendicant consistently treats their spiritual companions with verbal kindness. They should be told, ‘Not so, venerable! … For it is the signless release of the heart that is the escape from all signs.’ Take another mendicant who says: ‘I’m rid of the conceit “I am”. And I don’t regard anything as “I am this”. Yet somehow the dart of doubt and indecision still occupies my mind.’ They should be told, ‘Not so, venerable! Don’t
「しかしながら、私の識(ヴィンニャーナ)はなおも諸相(ニミッタ)を追い続けている」と。
さらにまた、比丘が常に善き梵行の友に対して、言葉による慈(メッター)の行為をもって接するならば……それは一心(エーキーバーヴァ)へと導くものである。その者には、こう言って聞かせるべきである。「尊者よ、そのようなことを言ってはなりません。尊者よ、世尊をそのように……なぜならば、友よ、すべての相(ニミッタ)からの出離(ニッサラナ)とは、すなわち無相の心解脱(アニミッター・チェートーヴィムッティ)に他ならないのですから」と。
また友よ、ここに或る比丘がこのように言うとする。「『我あり』(アスミー)という思いはすでに私より去り、『この私が有る』とは観ていない。しかしながら、疑惑と躊躇の矢(ヴィチキッチャー・カタンカター・サッラ)が、なおも私の心を占領し続けている」と。その者には、こう言って聞かせるべきである。「尊者よ、そのようなことを言ってはなりません。世尊を誹謗することのないようにしなさい。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈