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智慧 長部経典 趣旨一致

長部経典(DN29 §7.8–8.7)

Yo kho, cunda, evarūpaṁ sāvakaṁ evaṁ vadeyya: ‘addhāyasmā ñāyappaṭipanno ñāyamārādhessatī’ti. 3. Sāvakānutappasatthu Idha pana, cunda, satthā ca loke udapādi arahaṁ sammāsambuddho, dhammo ca svākkhāto suppavedito niyyāniko upasamasaṁvattaniko sammāsambuddhappavedito, aviññāpitatthā cassa honti sāvakā saddhamme, na ca tesaṁ kevalaṁ paripūraṁ brahmacariyaṁ āvikataṁ hoti uttānīkataṁ sabbasaṅgāhapadakataṁ sappāṭihīrakataṁ yāva devamanussehi suppakāsitaṁ. Atha nesaṁ satthuno antaradhānaṁ hoti. Evarūp
Suppose someone was to say to such a disciple, ‘Clearly the venerable is practicing systematically and will succeed in that system.’ 3. When Disciples Have Regrets Take the case where a teacher arises in the world who is perfected, a fully awakened Buddha. The teaching is well explained and well propounded, emancipating, leading to peace, proclaimed by someone who is fully awakened. But the disciples have not been educated in the meaning of that good teaching. And the spiritual practice that’s e
「まさしく、この尊者は如理(にょり)にしたがって修行しており、その道を成就するであろう」と、そのような弟子についてかく述べる者があるならば、それはまことに正しい言葉というべきであろう。 三 弟子たちが師を惜しむ場合 さてここに、クンダよ、師が世に出現したとする。その師は阿羅漢(あらかん)にして正等覚者(しょうとうかくしゃ)たる正覚の仏陀である。法(ダンマ)はよく説かれ、よく示されており、解脱へと導き、寂静(じゃくじょう)へと向かわしめ、正等覚者によって宣べられたものである。しかるに、その弟子たちは善なる法(サッダンマ)の意義について教え導かれることがなく、彼らの梵行(ぼんぎょう)は完全に成就されず、顕示されず、明らかにされず、余すところなく集成されず、十分に提示されず、神々と人々によってあまねく知られるまでには至っていない。そのうちに、師の入滅があった。
関連テーマ: 智慧 無常 執着
導線タグ: 師の死,指導者の不在,教えの継承,修行の未完成,喪失感,精神的支柱を失う,道を見失う

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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