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長部経典 趣旨一致

長部経典(DN29 §37.11–38.10)

nevasaññīnāsaññī attā hoti … attā ucchijjati vinassati na hoti paraṁ maraṇā, idameva saccaṁ moghamaññan’ti. Santi, cunda, eke samaṇabrāhmaṇā evaṁvādino evaṁdiṭṭhino: ‘rūpī attā hoti arogo paraṁ maraṇā, idameva saccaṁ moghamaññan’ti. ‘arūpī attā hoti … rūpī ca arūpī ca attā hoti … nevarūpī nārūpī attā hoti … saññī attā hoti … Tatra, cunda, ye te samaṇabrāhmaṇā evaṁvādino evaṁdiṭṭhino: Aññathāsaññinopi hettha, cunda, santeke sattā.
or neither percipient nor non-percipient … or the self is annihilated and destroyed when the body breaks up, and doesn’t exist after death. This is the only truth, anything else is futile.’ There are some ascetics and brahmins who have this doctrine and view: ‘The self is healthy after death, and formed … or formless … or both formed and formless … or neither formed nor formless … or percipient … Regarding this, I go up to the ascetics and brahmins whose view is that, Because there are beings wh
あるいは、非想非非想(ネーヴァサンニーナーサンニー)の自我(アッター)がある……あるいは、自我は死後に断滅・消滅して存在しなくなる。これのみが真実であり、他はすべて虚妄である』と。 チュンダよ、また次のように説き、次のように見なす沙門・婆羅門(サマナ・ブラーフマナ)たちがいる。『自我は死後において、有色(ルーピー)にして無病・健全である。これのみが真実であり、他はすべて虚妄である』と。あるいは『無色(アルーピー)にして……』と。あるいは『有色にして且つ無色にして……』と。あるいは『非有色・非無色にして……』と。あるいは『有想(サンニー)にして……』と。 チュンダよ、これらについて、かの沙門・婆羅門たち——そのように説き、そのように見なす者たち——に、わたしは近づいていくのである。なぜならば、チュンダよ、ここに、異なる想(サンニー)を抱く衆生(サッター)もまた現に存在するからである。
関連テーマ: 自己 智慧
導線タグ: 死後の世界,魂の行方,自我とは何か,死の恐怖,存在の消滅,輪廻転生,真実を知りたい

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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