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智慧 長部経典 趣旨一致

長部経典(DN29 §16.12–16.21)

Idaṁ vuccati: ‘passaṁ na passatī’ti. Yaṁ kho panetaṁ, cunda, udakena rāmaputtena bhāsitaṁ hīnaṁ gammaṁ pothujjanikaṁ anariyaṁ anatthasaṁhitaṁ khurameva sandhāya. Yañca taṁ, cunda, sammā vadamāno vadeyya: ‘passaṁ na passatī’ti, idameva taṁ sammā vadamāno vadeyya: Kiñca passaṁ na passatīti? Evaṁ sabbākārasampannaṁ sabbākāraparipūraṁ anūnamanadhikaṁ svākkhātaṁ kevalaṁ paripūraṁ brahmacariyaṁ suppakāsitanti, iti hetaṁ passati. Yāvatā kho pana, cunda, etarahi saṅgho vā gaṇo vā loke uppanno; Idamettha
Thus it is said: ‘Seeing, one does not see.’ But that saying of Uddaka’s is low, crude, ordinary, ignoble, and pointless, as it’s only about a razor. If there’s anything of which it may be rightly said: ‘Seeing, one does not see,’ it’s of this that it should be said. Seeing what does one not see? One sees this: a spiritual path endowed with all good qualities, complete in all good qualities, neither too little nor too much, well explained, whole, full, and well propounded. Of all the spiritual c
かくの如く説かれている——「見ながら、見えず」と。しかるにチュンダよ、ウッダカ・ラーマプッタの語ったその言葉は、剃刀のことのみを指してのものであり、卑しく、粗野にして、凡夫(ぼんぷ)の言葉であり、聖なるものに非ず、益をもたらさぬものである。 もし「見ながら、見えず」と正しく語りうるものがあるとすれば、まさにこれについてこそ、正しく語られるべきである。 では、何を見ながら、見えないというのか。 かくの如く見るのである——一切の徳目(くどく)を具え、一切の徳目において円満にして、過不足なく、よく説き示された、完全にして満ち足り、よく宣揚された梵行(ぼんぎょう、清浄なる修行の道)を。 そしてチュンダよ、この世に現れたる教団(サンガ)であれ、集い(ガナ)であれ、あらゆるものの中において……
関連テーマ: 智慧 自己
導線タグ: 本質を見る,見えているようで見えていない,表面的な理解,真の知恵,精神的な成長,修行の道,自己欺瞞

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経典
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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