← 経典データベースに戻る 「智慧」の偈句一覧
智慧 長部経典 趣旨一致

長部経典(DN21 §2.4.7–2.5.16)

Pariyesanaṁpāhaṁ, devānaminda, duvidhena vadāmi— sevitabbampi, asevitabbampi. Kāyasamācārampāhaṁ, devānaminda, duvidhena vadāmi sevitabbampi asevitabbampīti iti kho panetaṁ vuttaṁ, kiñcetaṁ paṭicca vuttaṁ? 2.4. Indriyasaṁvara Itiha sakko devānamindo bhagavato bhāsitaṁ abhinanditvā anumoditvā bhagavantaṁ uttari pañhaṁ apucchi: Kāyaviññeyyaṁ phoṭṭhabbampāhaṁ, devānaminda, duvidhena vadāmi— Manoviññeyyaṁ dhammampāhaṁ, devānaminda, duvidhena vadāmi— sevitabbampi, asevitabbampī”ti. Evaṁ vutte, sakko
There are two kinds of search, I say: that which you should cultivate, and that which you should not cultivate. Why did I say that there are two kinds of bodily behavior? 2.4. Sense Restraint And then Sakka asked another question: touches known by the body … ideas known by the mind: that which you should cultivate, and that which you should not cultivate.” When the Buddha said this, Sakka said to him: “Sir, this is how I understand the detailed meaning of the Buddha’s brief statement:
「求めること(パリイェーサナー)には二種類あると、私は説く。修すべきものと、修すべからざるものとである。また、身体的行為(カーヤサマーチャーラ)にも二種類あると、私は説く。修すべきものと、修すべからざるものとである」と、このように説かれた。では、なぜそのように説かれたのか。 2.4. 感官の制御(インドリヤサンヴァラ) かくして、神々の王サッカ(帝釈天)は、世尊の御言葉を喜び、随喜して、さらに世尊に問いを発した。 「身体によって知られる触れ(フォッタッバ)にも、また意によって知られる法(ダンマ)にも、二種類あると、神々の主よ、私は説く。修すべきものと、修すべからざるものとである」 世尊がかく説き終えられると、サッカは世尊に向かってこう申し上げた。 「尊師よ、世尊が簡略に説き示されたことの詳しき意味を、私はかくのごとく理解いたします——」
関連テーマ: 智慧 正念 自己 渇愛
導線タグ: 判断力,選択,修行,感覚制御,執着,自己修養,何をすべきか

この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?

LINEで相談する App Storeでダウンロード

🪷 AIブッダ 禅とは

AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。

一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。

10,000+
収録偈句
18
経典
20
テーマ
CC0
ライセンス

経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

全偈句一覧 苦しみ 智慧 怒り 執着 慈悲 正念

© 2026 AIブッダ 禅経典データベース仏陀の教えブログ