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自己 長部経典 趣旨一致

長部経典(DN9 §21.3–22.5)

“Oḷārikaṁ kho ahaṁ, bhante, attānaṁ paccemi rūpiṁ cātumahābhūtikaṁ kabaḷīkārāhārabhakkhan”ti. “Oḷāriko ca hi te, poṭṭhapāda, attā abhavissa rūpī cātumahābhūtiko kabaḷīkārāhārabhakkho. Evaṁ santaṁ kho te, poṭṭhapāda, aññāva saññā bhavissati añño attā. Tadamināpetaṁ, poṭṭhapāda, pariyāyena veditabbaṁ yathā aññāva saññā bhavissati añño attā. Tiṭṭhateva sāyaṁ, poṭṭhapāda, oḷāriko attā rūpī cātumahābhūtiko kabaḷīkārāhārabhakkho, atha imassa purisassa aññā ca saññā uppajjanti, aññā ca saññā nirujjhant
“I believe in a solid self, sir, which is formed, made up of the four principal states, and consumes edible food.” “Suppose there were such a solid self, Poṭṭhapāda. In that case, perception would be one thing, the self another. Here is another way to understand how perception and self are different things. So long as that solid self remains, still some perceptions arise in a person and others cease. That is a way to understand how perception and self are different things.” “Sir, I believe in a
「私は、尊師よ、粗大な自己(アッター)を認めております。それは物質的(ルーピン)であり、四大(チャトゥマハーブーティカ)より成り、固形の食物(カバリンカーラ・アーハーラ)を食すものであります。」 「ポッタパーダよ、もし汝の言うごとく、そのような粗大なる自己——物質的にして四大より成り、固形の食物を食するもの——が存在するとしよう。されば、知覚(サンニャー)は一つのものであり、自己はまた別のものであることになる。知覚と自己とがいかに別々のものであるかを、さらに別の道理によって知るべきである。かの粗大なる自己——物質的にして四大より成り、固形の食物を食するもの——がそのまま存続しているあいだも、その人のうちにある知覚は生起し、またある知覚は滅する。これによってもまた、知覚と自己とがいかに異なるものであるかを知るべきである。」 「尊師よ、私はまた……」
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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