← 経典データベースに戻る 「自己」の偈句一覧
自己 長部経典 趣旨一致

長部経典(DN1 §3.20.1–3.21.7)

Idha, bhikkhave, ekacco samaṇo vā brāhmaṇo vā evaṁvādī hoti evaṁdiṭṭhi: ‘yato kho, bho, ayaṁ attā pañcahi kāmaguṇehi samappito samaṅgībhūto paricāreti, ettāvatā kho, bho, ayaṁ attā paramadiṭṭhadhammanibbānaṁ patto hotī’ti. Ittheke sato sattassa paramadiṭṭhadhammanibbānaṁ paññapenti. Tamañño evamāha: ‘atthi kho, bho, eso attā, yaṁ tvaṁ vadesi, neso natthīti vadāmi; no ca kho, bho, ayaṁ attā ettāvatā paramadiṭṭhadhammanibbānaṁ patto hoti. Taṁ kissa hetu? Kāmā hi, bho, aniccā dukkhā vipariṇāmadhamm
There are some ascetics and brahmins who have this doctrine and view: ‘When this self amuses itself, supplied and provided with the five kinds of sensual stimulation, that’s how this self attains ultimate extinguishment in this life.’ That is how some assert ultimate extinguishment for an existing being in this life. But someone else says to them: ‘<em>That</em> self of which you speak does exist, I don’t deny it. But that’s not how <em>this</em> self attains ultimate extinguishment in this life
比丘たちよ、ここに一部の沙門・婆羅門たちがあって、次のような説(ヴァーダ)と見解(ディッティ)を持つ者がいる。「およそこの自己(アッタ)が、五種の欲楽(カーマグナ)を具え、それに満ち足りて楽しみふけるとき、まさにそれによって、この自己は現法(ディッタダンマ)における究極の涅槃(ニッバーナ)に達するのだ」と。このようにして、ある者たちは、現に存在する有情(サッタ)のために、現法涅槃を説き示す。 これに対して、別の者が彼らにこう言う。「なるほど、あなたの説くその自己は、たしかに存在する。わたしはそれが存在しないとは言わない。しかしながら、その自己は、そのような仕方によっては、現法における究極の涅槃に達することにはならないのだ。それはなぜか。実に、諸々の欲楽(カーマ)は無常(アニッチャ)であり、苦(ドゥッカ)であり、変滅する法(ヴィパリナーマダンマ)だからである」と。
関連テーマ: 苦しみ 無常 渇愛 自己
導線タグ: 快楽追求,満足できない,欲望,幸福の錯覚,無常,苦しみの原因,本当の幸せ

この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?

LINEで相談する App Storeでダウンロード

🪷 AIブッダ 禅とは

AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。

一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。

10,000+
収録偈句
18
経典
20
テーマ
CC0
ライセンス

経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

全偈句一覧 苦しみ 智慧 怒り 執着 慈悲 正念

© 2026 AIブッダ 禅経典データベース仏陀の教えブログ