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長部経典 趣旨一致

長部経典(DN1 §3.15.2–3.16.3)

‘atthi kho, bho, so attā, yaṁ tvaṁ vadesi, neso natthīti vadāmi; no ca kho, bho, ayaṁ attā ettāvatā sammā samucchinno hoti. Atthi kho, bho, añño attā sabbaso viññāṇañcāyatanaṁ samatikkamma “natthi kiñcī”ti ākiñcaññāyatanūpago. Taṁ tvaṁ na jānāsi na passasi. Tamahaṁ jānāmi passāmi. So kho, bho, attā yato kāyassa bhedā ucchijjati vinassati, na hoti paraṁ maraṇā, ettāvatā kho, bho, ayaṁ attā sammā samucchinno hotī’ti. Ittheke sato sattassa ucchedaṁ vināsaṁ vibhavaṁ paññapenti. Tamañño evamāha: ‘att
‘<em>That</em> self of which you speak does exist, I don’t deny it. But that’s not how <em>this</em> self becomes rightly annihilated. There is another self that has gone totally beyond the dimension of infinite consciousness. Aware that “there is nothing at all”, it’s been reborn in the dimension of nothingness. You don’t know or see that. But I know it and see it. Since this self is annihilated and destroyed when the body breaks up, and doesn’t exist after death, that’s how this self becomes r
「貴殿の説くところのその自己(アッタン)は、たしかに存在する。わたしはそれを否定しない。しかしながら、この自己がそれによって正しく断滅されるというわけではない。さらに別の自己があって、それは無辺識処(ヴィンニャーナンチャーヤタナ)をことごとく超え越えて、『何ものも存在しない』と知りながら、無所有処(アーキンチャンニャーヤタナ)に生まれ入っているのである。貴殿はそれを知らず、また見ていない。しかしわたしはそれを知り、また見ている。かかる自己は、身体が壊れ滅するときに断ち切られ消滅し、死後には存在しない——まさにそれによってこそ、この自己は正しく断滅されるのである」と。 このようにして、ある者たちは、現に存在する衆生(サッタ)の断滅・消滅・非存在(ヴィバヴァ)を説き示す。これに対して別の者は、次のように言う。
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⚠ 自己責任論に誤解されやすい

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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