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自己 長部経典 趣旨一致

長部経典(DN1 §3.13.8–3.15.1)

Ittheke sato sattassa ucchedaṁ vināsaṁ vibhavaṁ paññapenti. Tamañño evamāha: ‘atthi kho, bho, eso attā yaṁ tvaṁ vadesi, neso natthīti vadāmi; no ca kho, bho, ayaṁ attā ettāvatā sammā samucchinno hoti. Atthi kho, bho, añño attā sabbaso ākāsānañcāyatanaṁ samatikkamma “anantaṁ viññāṇan”ti viññāṇañcāyatanūpago. Taṁ tvaṁ na jānāsi na passasi. Tamahaṁ jānāmi passāmi. So kho, bho, attā yato kāyassa bhedā ucchijjati vinassati, na hoti paraṁ maraṇā, ettāvatā kho, bho, ayaṁ attā sammā samucchinno hotī’ti.
That is how some assert the annihilation of an existing being. But someone else says to them: ‘<em>That</em> self of which you speak does exist, I don’t deny it. But that’s not how <em>this</em> self becomes rightly annihilated. There is another self which has gone totally beyond the dimension of infinite space. Aware that “consciousness is infinite”, it’s reborn in the dimension of infinite consciousness. You don’t know or see that. But I know it and see it. Since this self is annihilated and d
このようにして、ある者どもは、現に存在する有情(さった)の断滅・消滅・虚無を説く。これに対して、別の者がかく言う。「御身の説かれるその我(アッター)は、たしかに存在する。それが存在しないとは申さぬ。しかしながら、この我がそれほどのことによって正しく断滅されるのではない。御身よ、さらに別の我がある。それはあらゆる意味において空無辺処(ākāsānañcāyatana)を超え越えて、『識(ヴィンニャーナ)は無辺なり』と知りつつ、識無辺処(viññāṇañcāyatana)に生まれ至るものである。御身はそれを知らず、見ていない。しかるに、わたくしはそれを知り、見ている。かの我は、身体の壊滅とともに断たれ、滅し去り、死後には存在しない。御身よ、これほどのことによってこそ、この我は正しく断滅されるのである」と。
関連テーマ: 自己 無常
導線タグ: 死後の世界,魂の存在,自己とは何か,無我,死への恐怖,存在の消滅,アイデンティティ
⚠ 自己責任論に誤解されやすい

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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