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苦しみ 長部経典 趣旨一致

長部経典(DN1 §2.38.15–2.38.7)

‘Ekantasukhī attā hoti …. ‘Ekantadukkhī attā hoti …. ‘Sukhadukkhī attā hoti …. ‘Adukkhamasukhī attā hoti arogo paraṁ maraṇā saññī’ti naṁ paññapenti. Te ca bhonto samaṇabrāhmaṇā kimāgamma kimārabbha uddhamāghātanikā saññīvādā uddhamāghātanaṁ saññiṁ attānaṁ paññapenti soḷasahi vatthūhi? ‘Rūpī attā hoti arogo paraṁ maraṇā saññī’ti naṁ paññapenti. ‘Arūpī attā hoti arogo paraṁ maraṇā saññī’ti naṁ paññapenti. ‘Rūpī ca arūpī ca attā hoti …pe…. ‘Nevarūpī nārūpī attā hoti …. ‘Antavā attā hoti ….
experiences nothing but happiness … experiences nothing but suffering … experiences both happiness and suffering … experiences neither happiness nor suffering.’ And what are the sixteen grounds on which they rely? They assert: ‘The self is healthy and percipient after death, and it is formed … formless … both formed and formless … neither formed nor formless … finite …
ただひたすら楽(すく)のみを経験する〔自我〕……ただひたすら苦(く)のみを経験する〔自我〕……楽と苦の両方を経験する〔自我〕……楽でも苦でもないものを経験する〔自我〕である』と、かれらは説く。さて、そのような諸々の沙門・婆羅門(さもん・ばらもん)たちは、いかなる縁(えん)によって、いかなる因(いん)によって、死後における〔自我の〕有想(うそう)を論ずる者として、死後において想(そう)ある自我を十六の理拠(りきょ)をもって説くのであるか。すなわち、かれらは『自我(アッター)は死後において健全にして想あり、かつ有色(うしき)なるものである』と説く。あるいは『自我は死後において健全にして想あり、かつ無色(むしき)なるものである』と説く。あるいは『自我は死後において健全にして想あり、かつ有色にして無色なるものである』と……。あるいは『自我は死後において健全にして想あり、かつ有色にもあらず無色にもあらざるものである』と……。あるいは『自我は死後において健全にして想あり、かつ有辺(うへん)なるものである』と……。
関連テーマ: 自己 苦しみ 無常
導線タグ: 死後の世界,自我,魂の存在,死への恐怖,死生観,来世,存在の意味

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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