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正念 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN151 §18.5–2.2)

Sace pana, sāriputta, bhikkhu paccavekkhamāno evaṁ jānāti: ‘bhāvito kho me ariyo aṭṭhaṅgiko maggo’ti, tena, sāriputta, bhikkhunā teneva pītipāmojjena vihātabbaṁ ahorattānusikkhinā kusalesu dhammesu. Puna caparaṁ, sāriputta, bhikkhunā iti paṭisañcikkhitabbaṁ: ‘bhāvitā nu kho me samatho ca vipassanā cā’ti? Sace, sāriputta, bhikkhu paccavekkhamāno evaṁ jānāti: ‘abhāvitā kho me samatho ca vipassanā cā’ti, tena, sāriputta, bhikkhunā samathavipassanānaṁ bhāvanāya vāyamitabbaṁ. Sace pana, sāriputta, bh
But suppose that, upon checking, a mendicant knows that they have developed it, they should meditate with rapture and joy, training day and night in skillful qualities. Furthermore, a mendicant should reflect: ‘Have I developed serenity and discernment?’ Suppose that, upon checking, a mendicant knows that they haven’t developed them, they should make an effort to do so. But suppose that, upon checking, a mendicant knows that they have developed them, they should meditate with rapture and joy, tr
しかしながら、サーリプッタよ、もし比丘が内省してみて、「われはすでに八聖道(アリヤ・アッタンギカ・マッガ)を修め培った」と知るならば、その比丘は、まさにその歓喜と悦楽(ピーティ・パーモッジャ)のうちに住しつつ、昼夜を通じて善なる諸法(クサラ・ダンマ)を学びに励まなければならない。 さらにまた、サーリプッタよ、比丘はかくのごとく省察すべきである。「われは止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)とをすでに修め培ったであろうか」と。 サーリプッタよ、もし比丘が内省してみて、「われはいまだ止と観とを修め培っていない」と知るならば、その比丘は、止と観との修習のためにこそ、精励努力しなければならない。しかしながら、もし比丘が内省してみて、「われはすでに止と観とを修め培った」と知るならば、その比丘は、まさにその歓喜と悦楽のうちに住しつつ、昼夜を通じて善なる諸法を学びに励まなければならない。
関連テーマ: 正念 智慧 幸せ 自己
導線タグ: 修行の進歩,自己点検,精進,内省,やる気が出ない,成長の実感,努力の継続
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経典
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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