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自己 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN148 §10.8–11.7)

Rūpānaṁ uppādopi vayopi paññāyati. Yassa kho pana uppādopi vayopi paññāyati, ‘attā me uppajjati ca veti cā’ti iccassa evamāgataṁ hoti. ‘Sotaṁ attā’ti yo vadeyya …pe… Iti mano anattā. ‘ghānaṁ attā’ti yo vadeyya …pe… ‘jivhā attā’ti yo vadeyya …pe… ‘kāyo attā’ti yo vadeyya …pe… ‘mano attā’ti yo vadeyya taṁ na upapajjati. Manassa uppādopi vayopi paññāyati. Yassa kho pana uppādopi vayopi paññāyati, ‘attā me uppajjati ca veti cā’ti iccassa evamāgataṁ hoti.
The arising and vanishing of sights is evident, so it would follow that one’s self arises and vanishes. If anyone says, ‘the ear is self’ … So the mind is not self. ‘the nose is self’ … ‘the tongue is self’ … ‘the body is self’ … ‘the mind is self,’ that is not tenable. The arising and vanishing of the mind is evident, so it would follow that one’s self arises and vanishes.
色(しき)の生起と滅没は明らかに知られる。それゆえ、生起と滅没の知られるものについては、「我(われ)の自我(アッター)は生じ、そして滅する」という帰結が生ずることになる。「耳(じ)は自我である」と言う者があれば……かくして、意(い)は無我(アナッター)である。「鼻(び)は自我である」と言う者があれば……「舌(ぜつ)は自我である」と言う者があれば……「身(しん)は自我である」と言う者があれば……「意(い)は自我である」と言う者があれば、それは成り立たない。意の生起と滅没は明らかに知られる。それゆえ、生起と滅没の知られるものについては、「我の自我は生じ、そして滅する」という帰結が生ずることになるからである。
関連テーマ: 自己 無常 智慧
導線タグ: 自己とは何か,アイデンティティ,自分を見失う,無我,執着からの解放,存在の不安,自分らしさ

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経典
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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