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正念 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN137 §24.2–25.4)

‘idaṁ vo hitāya, idaṁ vo sukhāyā’ti. Tassa sāvakā sussūsanti, sotaṁ odahanti, aññācittaṁ upaṭṭhapenti, na ca vokkamma satthusāsanā vattanti. Tatra, bhikkhave, tathāgato attamano ceva hoti, attamanatañca paṭisaṁvedeti, anavassuto ca viharati sato sampajāno. Idaṁ vuccati, bhikkhave, tatiyaṁ satipaṭṭhānaṁ yadariyo sevati, yadariyo sevamāno satthā gaṇamanusāsitumarahati. ‘Tayo satipaṭṭhānā yadariyo sevati, yadariyo sevamāno satthā gaṇamanusāsitumarahatī’ti— iti yaṁ taṁ vuttaṁ idametaṁ paṭicca vuttaṁ
‘This is for your welfare. This is for your happiness.’ And their disciples want to listen. They actively listen and try to understand. They don’t proceed having turned away from the Teacher’s instruction. In this case the Realized One is happy, he does feel happiness. He remains unfestering, mindful and aware. This is the third case in which the Noble One cultivates the establishment of mindfulness. ‘The Noble One cultivates the establishment of mindfulness in three cases, by virtue of which th
「これはあなたがたの利益のため、これはあなたがたの幸福のためである」と。そして弟子たちは聞こうと欲し、耳を傾け、心を理解へと向ける。師の教えに背くことなく歩む。かかる場合において、比丘たちよ、如来(にょらい)はまさに満足し、その満足を感受する。煩悩の漏れなく(アナヴァッスタ)、念(ねん・サティ)と正知(しょうち・サンパジャンニャ)とをもって住する。比丘たちよ、これが聖者(アリヤ)の修する第三の念処(ねんじょ・サティパッターナ)と呼ばれるものである。かくして師は群衆を教え導くにふさわしき者となる。「聖者はかくの三つの場合において念処を修する。かかる念処を修することによって、師は群衆を教え導くにふさわしき者となる」と——このように説かれたのは、以上のことに基づいて説かれたのである。
関連テーマ: 正念 智慧 慈悲
導線タグ: 指導力,教える喜び,弟子との関係,気づき,正念,満足感,リーダーシップ
⚠ 自己責任論に誤解されやすい

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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