業・因果
中部経典
趣旨一致
中部経典(MN136 §12.1–13.11)
Take some ascetic or brahmin who with clairvoyance sees an individual here who refrained from killing living creatures … and had right view. And they see that they are reborn in hell. They say: ‘It seems that there is no such thing as good deeds, and the result of good conduct. For I have seen an individual here who refrained from killing living creatures … and had right view. And I saw that they were reborn in hell.’ They say: ‘It seems that everyone who refrains from killing living creatures …
ここに、ある沙門(しゃもん)あるいは婆羅門(ばらもん)がいるとする。その者は、精励(しょうれい)により、努力により、専修(せんじゅ)により、不放逸(ふほういつ)により、正しき作意(さくい)により、かくのごとき心の三昧(さんまい)、すなわち心一境性(しんいっきょうせい)に触れる。その三昧に住する心をもって、人間を超えた清浄なる天眼(てんげん)により、ある一人の人を観る——すなわち、この世において殺生(せっしょう)を離れ……正見(しょうけん)を具えた者を。そして彼は、その者が身の滅びたのち、死後に、悪趣(あくしゅ)・苦界(くかい)・堕処(だしょ)・地獄(じごく)に生まれたるを見る。
かくして彼はこう語る。
「げにも、善き業(ごう)というものは存在せぬのであろう。善き行いに果報(かほう)などというものもないのであろう。そは何となれば、わたしはここにて、ある人を見たからである——殺生を離れ……正見を具えた者を。しかるにその者が、死後に地獄へと生まれたるを、まさしくわが目で見たからである。」
さらに彼は語る。
「されば、殺生を離れた者は、すべてことごとく……」