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幸せ 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN119 §20.4–22.1)

evameva kho, bhikkhave, bhikkhu imameva kāyaṁ nippītikena sukhena abhisandeti parisandeti paripūreti parippharati, nāssa kiñci sabbāvato kāyassa nippītikena sukhena apphuṭaṁ hoti. evampi, bhikkhave, bhikkhu kāyagatāsatiṁ bhāveti. Puna caparaṁ, bhikkhave, bhikkhu sukhassa ca pahānā …pe… catutthaṁ jhānaṁ upasampajja viharati. So imameva kāyaṁ parisuddhena cetasā pariyodātena pharitvā nisinno hoti; nāssa kiñci sabbāvato kāyassa parisuddhena cetasā pariyodātena apphuṭaṁ hoti. Seyyathāpi, bhikkhave,
In the same way, a mendicant drenches, steeps, fills, and spreads their body with bliss free of rapture. There’s no part of the body that’s not spread with bliss free of rapture. That too is how a mendicant develops mindfulness of the body. Furthermore, a mendicant, with the giving up of pleasure and pain and the disappearance of former happiness and sadness, enters and remains in the fourth absorption, without pleasure or pain, with pure equanimity and mindfulness. They sit spreading their body
比丘たちよ、これと同じように、比丘はこの身体を、喜(ピーティ)を離れた楽(スッカ)によって満たし、浸し、充溢させ、あまねく行き渡らせる。身体のいかなる部分も、喜を離れた楽の及ばないところはない。比丘たちよ、このようにしても、比丘は身至念(カーヤガターサティ)を修習するのである。 さらにまた、比丘たちよ、比丘は楽をも捨て、苦をも捨て、かつて感じた喜悦と憂いとが滅し去って、苦なく楽なく、捨(ウペッカー)と念(サティ)とによって清浄となった第四禅(チャトゥッタ・ジャーナ)に達して住する。比丘はこの身体を、清浄にして光輝ある心によって満たし、あまねく行き渡らせて坐している。身体のいかなる部分も、清浄にして光輝ある心の及ばないところはない。比丘たちよ、譬えば——
関連テーマ: 幸せ 正念 自己 智慧
導線タグ: 心の平静,内なる安らぎ,瞑想,幸福感,精神的充足,心身の調和,深い集中
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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