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智慧 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN106 §7.2–8.5)

‘suññamidaṁ attena vā attaniyena vā’ti. Tassa evaṁpaṭipannassa tabbahulavihārino āyatane cittaṁ pasīdati. Sampasāde sati etarahi vā ākiñcaññāyatanaṁ samāpajjati paññāya vā adhimuccati. Kāyassa bhedā paraṁ maraṇā, ṭhānametaṁ vijjati yaṁ taṁsaṁvattanikaṁ viññāṇaṁ assa ākiñcaññāyatanūpagaṁ. Ayaṁ, bhikkhave, dutiyā ākiñcaññāyatanasappāyā paṭipadā akkhāyati. Puna caparaṁ, bhikkhave, ariyasāvako iti paṭisañcikkhati: ‘nāhaṁ kvacani kassaci kiñcanatasmiṁ, na ca mama kvacani kismiñci kiñcanaṁ natthī’ti.
‘This is empty of a self or what belongs to a self.’ Practicing in this way and meditating on it often their mind becomes confident in this dimension. Being confident, they either attain the dimension of nothingness now, or are freed by wisdom. When their body breaks up, after death, it’s possible that that conducive consciousness will be reborn in the dimension of nothingness. This is said to be the second way of practice suitable for attaining the dimension of nothingness. Furthermore, a noble
「これは自我(アッタ)によっても、自我に属するもの(アッタニーヤ)によっても、空(スンニャ)である」と。このように修行し、これを繰り返し観じて住するならば、その心はこの処(アーヤタナ)において清信(パサーダ)を得る。清信を得たとき、現世において無所有処(ākiñcaññāyatana)に入定するか、あるいは慧(パンニャー)によって解脱する。身体の滅壊ののち、死後において、かの導きとなる識(ヴィンニャーナ)が無所有処に生ずることがある――これはあり得ることである。比丘たちよ、これが無所有処の成就に適した第二の修行道として説かれるものである。 さらにまた、比丘たちよ、聖なる弟子(アリヤサーヴァカ)は次のように省察する。「われはいかなる処においても、いかなる者に対しても、いかなる執著(キンチャナ)においても存せず、またいかなる処においても、いかなるものにおいても、われに属する執著は存しない」と。
関連テーマ: 智慧 自己 執着
導線タグ: 執着を手放したい,自我への囚われ,空の実践,無所有の境地,解脱への道,アイデンティティの迷い,精神的自由

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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