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苦しみ 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN105 §25.8–27.2)

Tassa imissā ca sappāyakiriyāya asu ca visadoso apanīto anupādiseso tadubhayena vaṇo viruheyya. So ruḷhena vaṇena sañchavinā neva maraṇaṁ vā nigaccheyya na maraṇamattaṁ vā dukkhaṁ. Evameva kho, sunakkhatta, ṭhānametaṁ vijjati yaṁ idhekaccassa bhikkhuno evamassa: ‘taṇhā kho sallaṁ samaṇena vuttaṁ, avijjāvisadoso chandarāgabyāpādena ruppati. Taṁ me taṇhāsallaṁ pahīnaṁ, apanīto avijjāvisadoso, sammā nibbānādhimuttohamasmī’ti. Sammā nibbānādhimuttasseva sato so yāni sammā nibbānādhimuttassa asappāyā
Then both because they did what was suitable, and the unclean poison had left no residue, the wound would heal, and no death or deadly pain would result. In the same way, it’s possible that a certain mendicant might think: ‘The Ascetic has said that craving is a dart; and that the poison of ignorance is inflicted by desire and ill will. I have given up the dart of craving and expelled the poison of ignorance; I am rightly intent on extinguishment.’ Being rightly intent on extinguishment, they wo
そのとき、適切な処置を施したことと、不浄なる毒素が残滓なく除かれたこととの、この両者によって、傷は癒え、死に至ることも、死に至るほどの苦(ドゥッカ)を受けることもないであろう。 これと同じように、スナッカッタよ、ここにある比丘がかくのごとく思うことがありうる。「渇愛(タンハー)は矢(サッラ)であると、沙門(サマナ)は説かれた。無明(アヴィッジャー)の毒素は、欲(チャンダ)と貪(ラーガ)と瞋恚(ヴィヤーパーダ)によって身に害をなす。わが渇愛の矢はすでに捨てられ、無明の毒素はすでに除かれた。われは正しく涅槃(ニッバーナ)に心を向けている」と。 かくして正しく涅槃に心を向けつつあるその者は、正しく涅槃に心を向ける者にとって相応しからざるものを——
関連テーマ: 苦しみ 渇愛 智慧 執着
導線タグ: 執着を手放す,煩悩,渇望,心の解放,苦しみからの解脱,怒り,無明
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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