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中部経典 趣旨一致

中部経典(MN102 §7.2–9.3)

ye kho te bhonto samaṇabrāhmaṇā asaññiṁ attānaṁ paññapenti arogaṁ paraṁ maraṇā, rūpiṁ vā te bhonto samaṇabrāhmaṇā asaññiṁ attānaṁ paññapenti arogaṁ paraṁ maraṇā, arūpiṁ vā te bhonto samaṇabrāhmaṇā asaññiṁ attānaṁ paññapenti arogaṁ paraṁ maraṇā, rūpiñca arūpiñca vā te bhonto samaṇabrāhmaṇā asaññiṁ attānaṁ paññapenti arogaṁ paraṁ maraṇā, nevarūpiṁ nārūpiṁ vā te bhonto samaṇabrāhmaṇā asaññiṁ attānaṁ paññapenti arogaṁ paraṁ maraṇā. Yo hi koci, bhikkhave, samaṇo vā brāhmaṇo vā evaṁ vadeyya: ‘ahamañña
There are ascetics and brahmins who assert a self that is non-percipient and healthy after death, describing it as formed, or formless, or both formed and formless, or neither formed nor formless. But if any ascetic or brahmin should say this: ‘Apart from form, feeling, perception, and choices, I will describe the coming and going of consciousness, its passing away and reappearing, its growth, increase, and maturity.’ That is not possible. ‘All that is conditioned and crude. But there is the ces
死後において認識なき自我(アッタン)が健全であると説く沙門・婆羅門たちがいる。彼らはその自我を、有形(ルーピン)と説くか、あるいは無形(アルーピン)と説くか、あるいは有形にして無形と説くか、あるいは有形にもあらず無形にもあらずと説くか、いずれかである。 しかし比丘たちよ、いかなる沙門・婆羅門であれ、次のように語るとすれば——「色(ルーパ)・受(ヴェーダナー)・想(サンニャー)・行(サンカーラ)を離れて、わたしは識(ヴィンニャーナ)の往来を、その没と生起を、その成長・増大・成熟を説き示すことができる」と。そのようなことは、あり得ないことである。 「それらはすべて有為(サンカタ)にして粗雑なるものである。しかし、そこには滅尽(ニローダ)というものがある」——
関連テーマ: 自己 無常 智慧
導線タグ: 死後の世界,魂の行方,自我とは何か,死の恐怖,無常,執着からの解放,死別

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経典
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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