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苦しみ 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN101 §14.2–16.4)

yasmiṁ pana vo samaye na tibbo upakkamo hoti na tibbaṁ padhānaṁ, tibbā tasmiṁ samaye opakkamikā dukkhā tibbā kaṭukā vedanā vediyetha; evaṁ sante āyasmantānaṁ nigaṇṭhānaṁ kallamassa veyyākaraṇāya: Yasmā ca kho, āvuso nigaṇṭhā, yasmiṁ vo samaye tibbo upakkamo hoti tibbaṁ padhānaṁ, tibbā tasmiṁ samaye opakkamikā dukkhā tibbā kaṭukā vedanā vediyetha; te tumhe sāmaṁyeva opakkamikā dukkhā tibbā kaṭukā vedanā vedayamānā avijjā aññāṇā sammohā vipaccetha: “yaṁ kiñcāyaṁ purisapuggalo paṭisaṁvedeti sukhaṁ
and if without intense exertion you did experience such feelings, it would be appropriate for the Jain venerables to declare this. But since this is not the case, aren’t you experiencing painful, sharp feelings due only to your own exertion, which out of ignorance, unknowing, and confusion you misconstrue to imply: “Everything this individual person experiences—pleasurable, painful, or neutral—is because of past deeds. …”?’ When I said this, I did not see any legitimate defense of their doctrine
「もし強烈な努力を傾けることなく、そのような感受を経験するというのであれば、ニガンタの尊者たちがそのように説くことも、あるいは道理にかなうと言えるかもしれない。しかしながら、実際にはそうではないではないか。そなたたちは、自らの努力(パダーナ)によってこそ、苦しく激しい辛酸の感受(ヴェーダナー)を経験しているのではないか。しかるに、そなたたちはその感受を経験しながら、無知(アヴィッジャー)と無明と迷妄のゆえに、誤ってこのように思念するのである——『この人が経験するものは何であれ、それが楽(スカ)であれ、苦(ドゥッカ)であれ、苦でも楽でもない中性のものであれ、すべては過去の業(カンマ)に因るものである……』と。」私がこのように語ったとき、彼らがその教説を正当に弁護する術を持ち合わせていないことを、私は見て取ったのである。
関連テーマ: 苦しみ 業・因果 智慧
導線タグ: 苦しみの原因,業と運命,過去のせい,努力と苦悩,自己責任,思い込み,無知からの解放

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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