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業・因果 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN100 §42.10–42.8)

atha khvettha viññunā purisena ekaṁsena niṭṭhaṁ gantabbaṁ yadidaṁ: ‘atthi devā’”ti. “Kissa pana me bhavaṁ gotamo ādikeneva na byākāsī”ti? “Uccena sammataṁ kho etaṁ, bhāradvāja, lokasmiṁ yadidaṁ: “aṭṭhitavataṁ bhoto gotamassa padhānaṁ ahosi, sappurisavataṁ bhoto gotamassa padhānaṁ ahosi; yathā taṁ arahato sammāsambuddhassa. Kiṁ nu kho, bho gotama, atthi devā”ti? “Ṭhānaso metaṁ, bhāradvāja, viditaṁ yadidaṁ— “Kiṁ nu kho, bho gotama, ‘atthi devā’ti puṭṭho samāno ‘ṭhānaso metaṁ, bhāradvāja, viditaṁ y
a sensible person would come to the categorical conclusion in this matter that gods survive.” “But why didn’t you say that in the first place?” “It is agreed by the eminent in the world that gods survive.” “The striving of the worthy Gotama was indeed assiduous and that of a true person, since he is a perfected one, a fully awakened Buddha. But worthy Gotama, do gods survive?” “I’ve understood about gods in terms of causes.” “But worthy Gotama, when asked ‘Do gods survive?’ why did you say that
「されば、賢明なる人は、この件につき断固たる結論に達すべきであろう――すなわち、神々(devā)は存在すると」 「しかし、なにゆえゴータマ尊者は、はじめからそのようにお答えにならなかったのでしょうか」 「これは、世間において高く認められていることである――神々は存在すると」 「ゴータマ尊者の精進(padhāna)は、まことに篤実なるものであり、真人(sappurisa)にふさわしきものでありました。それはまさに、阿羅漢(arahant)にして正等覚者(sammāsambuddha)たる方にふさわしきものであります。しかるに、ゴータマ尊者よ、神々は存在するのでしょうか」 「バーラドヴァージャよ、わたしは因(ṭhāna)によって神々のことを知っている」 「しかし、ゴータマ尊者よ、『神々は存在するか』と問われたとき、なにゆえ『バーラドヴァージャよ、わたしは因によってそれを知っている』とお答えになったのでしょうか」
関連テーマ: 智慧 自己
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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