← 経典データベースに戻る 「智慧」の偈句一覧
智慧 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN80 §15.3–16.3)

“evameva panidhekacce samaṇabrāhmaṇā ajānantā pubbantaṁ, apassantā aparantaṁ atha ca pana ‘khīṇā jāti, vusitaṁ brahmacariyaṁ, kataṁ karaṇīyaṁ, nāparaṁ itthattāyāti—pajānāmā’ti—paṭijānanti. Tesamidaṁ bhāsitaṁ hassakaṁyeva sampajjati, nāmakaṁyeva sampajjati, rittakaṁyeva sampajjati, tucchakaṁyeva sampajjatī”ti. “Ye kho te, kaccāna, samaṇabrāhmaṇā ajānantā pubbantaṁ, apassantā aparantaṁ, so mokkhomhīti kho jāneyya no ca bandhanaṁ. Evameva kho, kaccāna, etu viññū puriso asaṭho amāyāvī ujujātiko, aha
“This is exactly what happens with some ascetics and brahmins. Not knowing the first beginning or seeing the final end, they nevertheless claim: ‘We understand: “Rebirth is ended, the spiritual journey has been completed, what had to be done has been done, there is nothing further for this place.”’ Their statement turns out to be a joke—mere words, vacuous and hollow.” “Kaccāna, there are some ascetics and brahmins who, not knowing the first beginning or seeing the final end, nevertheless claim:
「これはまさに、一部の沙門(さもん)・婆羅門(ばらもん)たちに起こることである。彼らは過去の始まり(前際・ぜんざい)を知らず、未来の終わり(後際・ござい)を見ることもなく、しかるに『我らは了知せり——「生(しょう)は尽き、梵行(ぼんぎょう)は完成し、なすべきことはなされた、もはやこの境涯に戻ることはない」と』と言い張るのである。彼らの言葉は、ただの笑い草となり、空名(くうみょう)となり、虚ろなものとなり、むなしいものとなってしまうのである。」 「カッチャーナよ、過去の始まりを知らず、未来の終わりを見ることもなく、それでもなお『我は解脱せり』と主張する沙門・婆羅門たちがいる。しかし彼らは、縛り(束縛)のことを知らずして解脱を語っているのである。カッチャーナよ、そこで聡明なる人、諂(へつら)いなく、偽りなく、素直なる性質の者は、まさにこのように来たるべきである——」
関連テーマ: 智慧 自己
導線タグ: 自己過信,思い込み,悟りの錯覚,知識の限界,謙虚さ,自己欺瞞,精神的成長

この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?

LINEで相談する App Storeでダウンロード

🪷 AIブッダ 禅とは

AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。

一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。

10,000+
収録偈句
18
経典
20
テーマ
CC0
ライセンス

経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

全偈句一覧 苦しみ 智慧 怒り 執着 慈悲 正念

© 2026 AIブッダ 禅経典データベース仏陀の教えブログ