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智慧 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN75 §10.4–11.3)

kāyaviññeyyehi phoṭṭhabbehi iṭṭhehi kantehi manāpehi piyarūpehi kāmūpasaṁhitehi rajanīyehi. Tassa mayhaṁ, māgaṇḍiya, tayo pāsādā ahesuṁ— eko vassiko, eko hemantiko, eko gimhiko. So kho ahaṁ, māgaṇḍiya, vassike pāsāde vassike cattāro māse nippurisehi tūriyehi paricārayamāno na heṭṭhāpāsādaṁ orohāmi. So aparena samayena kāmānaṁyeva samudayañca atthaṅgamañca assādañca ādīnavañca nissaraṇañca yathābhūtaṁ viditvā kāmataṇhaṁ pahāya kāmapariḷāhaṁ paṭivinodetvā vigatapipāso ajjhattaṁ vūpasantacitto viha
touches known by the body, which are likable, desirable, agreeable, pleasant, sensual, and arousing. I had three stilt longhouses— one for the rainy season, one for the winter, and one for the summer. I stayed in a stilt longhouse without coming downstairs for the four months of the rainy season, where I was entertained by musicians—none of them men. Some time later—having truly understood the origin, disappearance, gratification, drawback, and escape of sensual pleasures, and having given up cr
身体によって感知されるものであり、愛しく、望ましく、快く、喜ばしく、官能的で、心を惹きつけるような触感のことである。マーガンディヤよ、わたしには三つの楼閣(ろうかく)があった。一つは雨季のためのもの、一つは冬のためのもの、一つは夏のためのものであった。わたしは雨季の楼閣において、男を交えぬ楽人たちに侍らせ、四ヶ月の雨安居(うあんご)の間、ひとたびも楼下に降りることなく過ごしたのである。 しかるのちに、わたしは感覚的欲望(欲・kāma)の生起と消滅、その味わい(味・assāda)と危険(患・ādīnava)と出離(出離・nissaraṇa)とを、あるがままに真実として知り見て、欲への渇愛(欲愛・kāmataṇhā)を捨て去り、欲の熱悩(熱・pariḷāha)を鎮め、渇きを離れ、内に心の静まりを得て住するに至った。
関連テーマ: 渇愛 智慧 執着 苦しみ
導線タグ: 快楽依存,欲望,感覚的快楽,執着を手放す,欲求不満,内なる平和,满足できない

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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