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智慧 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN74 §6.2–7.10)

‘sabbaṁ me khamatī’ti tattha viññū puriso iti paṭisañcikkhati: ‘yā kho me ayaṁ diṭṭhi— sabbaṁ me khamatīti, imañce ahaṁ diṭṭhiṁ thāmasā parāmāsā abhinivissa vohareyyaṁ— idameva saccaṁ moghamaññanti; dvīhi me assa viggaho— yo cāyaṁ samaṇo vā brāhmaṇo vā evaṁvādī evaṁdiṭṭhi—sabbaṁ me nakkhamatīti, Tatraggivessana, ye te samaṇabrāhmaṇā evaṁvādino evaṁdiṭṭhino: yo cāyaṁ samaṇo vā brāhmaṇo vā evaṁvādī evaṁdiṭṭhi—ekaccaṁ me khamati ekaccaṁ me nakkhamatīti—
everything is acceptable, a sensible person reflects like this: ‘I have the view that everything is acceptable. Suppose I were to obstinately stick to this view and insist, “This is the only truth, anything else is futile.” Then I’d argue with two individuals— an ascetic or brahmin to whom nothing is acceptable, When it comes to the view of the ascetics and brahmins to whom and an ascetic or brahmin to whom some things are acceptable and some things are not.
「すべてが私には受け入れられる」という見解について、聡明な人はこのように省察する。「私には『すべてが受け入れられる』という見解がある。もし私がこの見解に頑なに執着し(abhinivissa)、固守して、『これのみが真実であり、他はすべて虚妄である』と主張するならば、私は二種の人々と論争することになるであろう——すなわち、『何ひとつ受け入れられない』と説き、そのように見る沙門(samaṇa)あるいは婆羅門(brāhmaṇa)と、そして『或るものは受け入れられるが、或るものは受け入れられない』と説き、そのように見る沙門あるいは婆羅門と。」アッギヴェッサナよ、そのように説き、そのように見る沙門・婆羅門たち——すなわち『或るものは受け入れられ、或るものは受け入れられない』と説く沙門あるいは婆羅門の見解に関しても、また同様である。
関連テーマ: 智慧 執着 自己
導線タグ: こだわり,執着,価値観の押しつけ,論争,柔軟性,固定観念,対立

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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