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執着 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN66 §14.4–16.1)

Imaṁ kho ahaṁ, udāyi, puggalaṁ ‘saṁyutto’ti vadāmi no ‘visaṁyutto’. Taṁ kissa hetu? Indriyavemattatā hi me, udāyi, imasmiṁ puggale viditā. Idha panudāyi, ekacco puggalo upadhipahānāya paṭipanno hoti upadhipaṭinissaggāya. Tamenaṁ upadhipahānāya paṭipannaṁ upadhipaṭinissaggāya upadhipaṭisaṁyuttā sarasaṅkappā samudācaranti. So te nādhivāseti, pajahati, vinodeti, byantīkaroti, anabhāvaṁ gameti. Imampi kho ahaṁ, udāyi, puggalaṁ ‘saṁyutto’ti vadāmi no ‘visaṁyutto’. Taṁ kissa hetu? Indriyavemattatā hi
I call this individual ‘fettered’, not ‘detached’. Why is that? Because I understand the disparity of faculties as it applies to this individual. Take another individual practicing to give up and let go of attachments. As they do so, memories and thoughts connected with attachments beset them. They don’t tolerate them, but give them up, get rid of them, eliminate them, and obliterate them. I also call this individual ‘fettered’, not ‘detached’. Why is that? Because I understand the disparity of
「この人を、ウダーイよ、わたしは『束縛されている者』と呼ぶのであって、『解き放たれた者』とは呼ばない。それはなぜか。この人における諸根(インドリヤ)の優劣の差異を、わたしは見てとっているからである。 さて、ウダーイよ、ここにある人が、依執(ウパディ)を捨て、依執を手放すべく修行に励んでいるとしよう。そのように依執を捨て、依執を手放すべく励んでいる彼のもとに、依執と結びついた記憶と思念(サラサンカッパ)が現れ来たる。彼はそれらに堪え忍ぶことなく、捨て去り、除き払い、滅ぼし尽くして、無に帰せしめる。 この人をも、ウダーイよ、わたしは『束縛されている者』と呼ぶのであって、『解き放たれた者』とは呼ばない。それはなぜか。この人における諸根の優劣の差異を、わたしは見てとっているからである。」
関連テーマ: 執着 渇愛 正念 自己
導線タグ: 執着,手放せない,煩悩,心の束縛,修行,精神的自由,雑念

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経典
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CC0
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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