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中部経典 趣旨一致

中部経典(MN63 §5.5–6.17)

abyākatameva taṁ, mālukyaputta, tathāgatena assa, atha so puggalo kālaṁ kareyya. Seyyathāpi, mālukyaputta, puriso sallena viddho assa savisena gāḷhapalepanena. Tassa mittāmaccā ñātisālohitā bhisakkaṁ sallakattaṁ upaṭṭhapeyyuṁ. So evaṁ vadeyya: ‘na tāvāhaṁ imaṁ sallaṁ āharissāmi yāva na taṁ purisaṁ jānāmi yenamhi viddho, khattiyo vā brāhmaṇo vā vesso vā suddo vā’ti; ‘Sassato loko’ti, mālukyaputta, diṭṭhiyā sati brahmacariyavāso abhavissāti, evaṁ no. ‘Aññaṁ jīvaṁ aññaṁ sarīran’ti, mālukyaputta, di
That would still remain undeclared by the Realized One, and meanwhile that individual would die. Suppose a man was struck by an arrow thickly smeared with poison. His friends and colleagues, relatives and kin would get a surgeon to treat him. But the man would say: ‘I won’t extract this arrow as long as I don’t know whether the man who wounded me was an aristocrat, a brahmin, a peasant, or a menial.’ It’s not true that if there were the view ‘the cosmos is eternal’ there would be the living of t
それもまた、マールキヤプッタよ、如来(にょらい)によって未記説(むきせつ)のままにされたであろう。そしてその間に、その人は命を終えてしまうであろう。 たとえば、マールキヤプッタよ、ある人が毒を深く塗りたくった矢によって射られたとしよう。その人の友人・同僚・親族・血縁の者たちが、外科医を呼んで治療にあたらせようとした。ところがその人はこう言うのである。 「私を射た人物が、刹帝利(せっていり)であるか、婆羅門(ばらもん)であるか、毘舎(びしゃ)であるか、首陀羅(しゅだら)であるかを知るまでは、この矢を抜かないであろう」と。 マールキヤプッタよ、「世界は常住(じょうじゅう)である」という見解(けんかい)があれば梵行(ぼんぎょう)の生活が成り立つ、などということはない。
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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