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中部経典 趣旨一致

中部経典(MN60 §17.1–18.2)

Tatra, gahapatayo, viññū puriso iti paṭisañcikkhati: ‘sace kho natthi kiriyā, evamayaṁ bhavaṁ purisapuggalo kāyassa bhedā sotthimattānaṁ karissati; sace kho atthi kiriyā evamayaṁ bhavaṁ purisapuggalo kāyassa bhedā paraṁ maraṇā apāyaṁ duggatiṁ vinipātaṁ nirayaṁ upapajjissati. Kāmaṁ kho pana māhu kiriyā, hotu nesaṁ bhavataṁ samaṇabrāhmaṇānaṁ saccaṁ vacanaṁ; atha ca panāyaṁ bhavaṁ purisapuggalo diṭṭheva dhamme viññūnaṁ gārayho—dussīlo purisapuggalo micchādiṭṭhi akiriyavādo’ti. Sace kho attheva kiri
A sensible person reflects on this matter in this way: ‘If there is no effective action, when this individual’s body breaks up they will keep themselves safe. And if there is effective action, when their body breaks up, after death, they will be reborn in a place of loss, a bad place, the underworld, hell. But let us grant that those who say that there is no effective action are correct. Regardless, that individual is still criticized by sensible people in this very life as being an immoral indi
賢明なる人は、この事柄についてかくのごとく思惟する。 「もし業(カルマ)の果報というものが存在しないならば、この人物は身体の壊滅(死)に際して、みずからを安穏に保つことができるであろう。しかしもし業の果報が存在するならば、この人物は身体の壊滅ののち、死後において、損失の境涯(アパーヤ)へ、悪しき境涯(ドゥッガティ)へ、堕落の境涯(ヴィニパータ)へ、地獄(ニラヤ)へと生まれ出ずることになるであろう。 さて、かの沙門・婆羅門たちの言葉、すなわち業の果報は存在しないとの説を、ひとまず真実として認めようではないか。それにもかかわらず、この人物は現世においてすでに、賢明なる人々から批難を受けるのである——『この人は戒を欠き(悪戒にして)、邪見(ミッチャーディッティ)を抱き、業の果報なしと説く者である』と。
関連テーマ: 業・因果 智慧 苦しみ
導線タグ: 死後の世界,業と報い,悪行の結果,道徳的責任,邪見,因果応報,死の恐怖

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経典
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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