← 経典データベースに戻る 「老い」の偈句一覧
老い 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN49 §2.3–25.2)

‘idaṁ niccaṁ, idaṁ dhuvaṁ, idaṁ sassataṁ, idaṁ kevalaṁ, idaṁ acavanadhammaṁ, idañhi na jāyati na jīyati na mīyati na cavati na upapajjati, ito ca panaññaṁ uttari nissaraṇaṁ natthī’ti. subhakiṇhe kho ahaṁ, brahme …pe… vehapphale kho ahaṁ, brahme …pe… abhibhuṁ kho ahaṁ, brahme …pe… sabbaṁ kho ahaṁ, brahme, sabbato abhiññāya yāvatā sabbassa sabbattena ananubhūtaṁ tadabhiññāya sabbaṁ nāpahosiṁ sabbasmiṁ nāpahosiṁ sabbato nāpahosiṁ sabbaṁ meti nāpahosiṁ, sabbaṁ nābhivadiṁ. Evampi kho ahaṁ, brahme, ne
‘This is permanent, this is everlasting, this is eternal, this is whole, this is not liable to pass away. For this is where there’s no being born, growing old, dying, passing away, or being reborn. And there’s no other escape beyond this.’ the gods of universal beauty … the gods of abundant fruit … the Vanquisher … Since directly knowing all as all, and since directly knowing that which does not fall within the scope of experience characterized by all, I have not become all, I have not become in
「これは常住(じょうじゅう)なり、これは堅固(けんご)なり、これは永遠なり、これは完全なり、これは滅することなき法(ほう)なり。そはすなわち、生まれることなく、老いることなく、死することなく、没することなく、再び生を受けることなき境地(きょうち)なり。しかしてこれを超えた、さらなる出離(しゅつり)は存在せず」と。 梵天(ぼんてん)よ、わたしは遍浄天(へんじょうてん)の神々のもとにおいて……、梵天よ、わたしは広果天(こうかてん)の神々のもとにおいて……、梵天よ、わたしは阿毘浮(あびふ)のもとにおいて……。 梵天よ、わたしはすべてをことごとく直接知(じきせつち)することによって、また「一切(いっさい)」として経験される領域に収まらぬものをも直接知することによって、わたしは一切と化することなく、一切のうちに在ることなく、一切より生ずることなく、「これぞわが一切なり」と執することなく、一切を称讃することもなかった。 梵天よ、かくのごとくにして、わたしは……。
関連テーマ: 無常 執着 智慧
導線タグ: 老い,死への恐怖,執着を手放す,永遠への渇望,不死,解脱,老化への不安

この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?

LINEで相談する App Storeでダウンロード

🪷 AIブッダ 禅とは

AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。

一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。

10,000+
収録偈句
18
経典
20
テーマ
CC0
ライセンス

経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

全偈句一覧 苦しみ 智慧 怒り 執着 慈悲 正念

© 2026 AIブッダ 禅経典データベース仏陀の教えブログ