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自己 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN47 §10.7–13.1)

Sammukhā kho pana metaṁ bhagavato sutaṁ sammukhā paṭiggahitaṁ— abhayūparatohamasmi, nāhamasmi bhayūparato, vītarāgattā kāme na sevāmi khayā rāgassā’ti. Tatra, bhikkhave, tathāgatova uttariṁ paṭipucchitabbo: ‘ye saṅkiliṭṭhā cakkhusotaviññeyyā dhammā, saṁvijjanti vā te tathāgatassa no vā’ti? Byākaramāno, bhikkhave, tathāgato evaṁ byākareyya: ‘ye saṅkiliṭṭhā cakkhusotaviññeyyā dhammā, na te tathāgatassa saṁvijjantī’ti. ‘Ye vītimissā cakkhusotaviññeyyā dhammā, saṁvijjanti vā te tathāgatassa no vā’ti
Also, I have heard and learned this in the presence of the Buddha: “I am securely stilled, not insecurely stilled. The reason I don’t indulge in sensual pleasures is that I’m free of greed because greed has ended.”’ Next, they should ask the Realized One himself about this, ‘Can anything corrupt be seen or heard in the Realized One or not?’ The Realized One would answer, ‘Nothing corrupt can be seen or heard in the Realized One.’ ‘Can anything mixed be seen or heard in the Realized One or not?’
また、わたしは世尊のみ前において直接、次のことを聞き、受け持ちました。「わたしは安らかに寂静(じゃくじょう)に達しており、不安のままに寂静に達したのではありません。わたしが欲楽(よくらく)を受用しないのは、貪り(むさぼり)が尽きて離貪(りとん)したがゆえです」と。 比丘たちよ、そこでさらに、その如来(にょらい)ご自身に次のように問うべきであります。「汚れた(サンキリッタ)もので、眼や耳によって識られるべきもの——そのようなものが如来に存在するのか、存在しないのか」と。比丘たちよ、問われた如来は、このように答えるでありましょう。「汚れたもので、眼や耳によって識られるべきもの——そのようなものは如来には存在しない」と。「では、混じり合った(ヴィティミッサ)もので、眼や耳によって識られるべきもの——そのようなものが如来に存在するのか、存在しないのか」と。
関連テーマ: 自己 渇愛 智慧 正念
導線タグ: 煩悩,欲望,執着,心の清浄,自己観察,内省,精神的安定

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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