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苦しみ 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN44 §23.2–24.4)

“Yaṁ kho, āvuso visākha, kāyikaṁ vā cetasikaṁ vā sukhaṁ sātaṁ vedayitaṁ— ayaṁ sukhā vedanā. Yaṁ kho, āvuso visākha, kāyikaṁ vā cetasikaṁ vā dukkhaṁ asātaṁ vedayitaṁ— ayaṁ dukkhā vedanā. Yaṁ kho, āvuso visākha, kāyikaṁ vā cetasikaṁ vā neva sātaṁ nāsātaṁ vedayitaṁ— ayaṁ adukkhamasukhā vedanā”ti. “Sukhā panāyye, vedanā kiṁsukhā kiṁdukkhā, dukkhā vedanā kiṁsukhā kiṁdukkhā, adukkhamasukhā vedanā kiṁsukhā kiṁdukkhā”ti? “Sukhā kho, āvuso visākha, vedanā ṭhitisukhā vipariṇāmadukkhā; dukkhā vedanā ṭhitid
“Anything felt physically or mentally as pleasant or enjoyable. This is pleasant feeling. Anything felt physically or mentally as painful or unpleasant. This is painful feeling. Anything felt physically or mentally as neither pleasurable nor painful. This is neutral feeling.” “What is pleasant and what is painful regarding each of the three feelings?” “Pleasant feeling is pleasant when it remains and painful when it perishes. Painful feeling is painful when it remains and pleasant when it perish
「ヴィサーカよ、身体的であれ精神的であれ、快く楽しいと感じられるもの——これが楽受(スカー・ヴェーダナー)である。ヴィサーカよ、身体的であれ精神的であれ、苦しく不快と感じられるもの——これが苦受(ドゥッカー・ヴェーダナー)である。ヴィサーカよ、身体的であれ精神的であれ、快くもなく不快でもなく感じられるもの——これが不苦不楽受(アドゥッカマスカー・ヴェーダナー)である。」 「されば尊者よ、楽受においては何が楽しみであり何が苦しみでありましょうか。苦受においては何が楽しみであり何が苦しみでありましょうか。不苦不楽受においては何が楽しみであり何が苦しみでありましょうか。」 「ヴィサーカよ、楽受はそれが持続するあいだは楽しみであり、それが滅し去るときには苦しみである。苦受はそれが持続するあいだは苦しみであり、それが滅し去るときには楽しみである。」
関連テーマ: 苦しみ 無常 渇愛 執着
導線タグ: 苦しみ,感情の変化,執着,無常,喜びと苦しみ,感受,満足できない

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収録偈句
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経典
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テーマ
CC0
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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