智慧
中部経典
趣旨一致
中部経典(MN39 §6.2–8.10)
mental behavior … livelihood will be pure, clear, open, neither inconsistent nor secretive. And we won’t glorify ourselves or put others down on account of our pure livelihood.’ Now, mendicants, you might think, ‘We have conscience and prudence, our bodily, verbal, and mental behavior is pure, and our livelihood is pure. This is sufficient; enough has been done. We have achieved the goal of life as an ascetic. There is nothing more to do.’ And you might rest content with just that much. I declar
心の行い(マノサマーチャーラ)は清らかであり、明白にして開かれたものであり、欠けたるところなく、また慎み深きものとなるであろう。生計(アージーヴァ)もまた清らかであり、明白にして開かれたものであり、欠けたるところなく、慎み深きものとなるであろう。そして、その清らかな生計をもって、われらは自らを高く掲げることなく、他者を貶めることもないであろう」と。
比丘たちよ、まさにこのように汝らは学ばねばならない。
しかるに、比丘たちよ、汝らの中にこのような思いが生ずるやもしれぬ。「われらは慚(ヒリ)と愧(オッタッパ)を具え、身の行い(カーヤサマーチャーラ)は清らかであり、語の行い(ヴァチーサマーチャーラ)は清らかであり、心の行いは清らかであり、生計もまた清らかである。これにて十分である。なすべきことはなされた。沙門(サマナ)としての目的はすでに達せられた。これ以上なすべきことは何もない」と。そして汝らはその程度のことに満足して止まるやもしれぬ。
比丘たちよ、われはここに宣言する——