スッタニパータ 第IV品 八偈品 SNP4.4 偈8
Suddhānupassīti pacceti ñāṇaṁ. Diṭṭhena ce suddhi narassa hoti, Ñāṇena vā so pajahāti dukkhaṁ; Aññena so sujjhati sopadhīko, Diṭṭhī hi naṁ pāva tathā vadānaṁ. Na brāhmaṇo aññato suddhimāha, Diṭṭhe sute sīlavate mute vā; Puññe ca pāpe ca anūpalitto, Attañjaho nayidha pakubbamāno. Purimaṁ pahāya aparaṁ sitāse, Ejānugā te na taranti saṅgaṁ; Te uggahāyanti nirassajanti, Kapīva sākhaṁ pamuñcaṁ gahāyaṁ.
「清浄なるものを観ずる」と、かれは知見(ñāṇa)をもって思いなす。
もし見ること(diṭṭha)によって人の清浄が成り立つというならば、
あるいはまた知見によって苦(dukkha)を捨て去るというならば、
執著(upadhi)を持つそのひとは、別の道によって清まることになる。
——そのように説くかれを、見解(diṭṭhi)がかく迷わせるのである。
婆羅門(brāhmaṇa)は、清浄を他に求めるとは説かない。
見られたもの、聞かれたもの、戒(sīla)と禁制、感知されたもの、
これらによってではないと。
功徳(puñña)にも罪悪(pāpa)にも染まることなく、
自我(attā)を捨て去り、ここに何ものも作らない者——
そのひとが婆羅門なのである。
前のものを捨てては後のものに執し、
衝動(ejā)のままに流れる者どもは、執著(saṅga)を渡り越えることができない。
かれらは掴んでは放し、放しては掴む——
まるで猿が枝を離しては、また別の枝に飛びつくように。
導線タグ: 清浄さへの執着,形式的な修行,他者依存,苦しみからの解放,見解への固執,真の悟り,自己欺瞞
この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?
🪷 AIブッダ 禅とは
AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。
一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。
経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。