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苦しみ 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN29 §5.15–5.24)

So tena ñāṇadassanena attamano hoti paripuṇṇasaṅkappo. So tena ñāṇadassanena attānukkaṁseti, paraṁ vambheti: ‘ahamasmi jānaṁ passaṁ viharāmi. Ime panaññe bhikkhū ajānaṁ apassaṁ viharantī’ti. So tena ñāṇadassanena majjati pamajjati pamādaṁ āpajjati, pamatto samāno dukkhaṁ viharati. Seyyathāpi, bhikkhave, puriso sāratthiko sāragavesī sārapariyesanaṁ caramāno mahato rukkhassa tiṭṭhato sāravato atikkammeva sāraṁ phegguṁ chetvā ādāya pakkameyya ‘sāran’ti maññamāno. Tamenaṁ cakkhumā puriso disvā evaṁ
They’re happy with that, and they’ve got all they wished for. And they glorify themselves and put others down on account of that, ‘I’m the one who meditates knowing and seeing. These other mendicants meditate without knowing and seeing.’ And so they become indulgent and fall into negligence regarding that knowledge and vision. And being negligent they live in suffering. Suppose there was a person in need of heartwood. And while wandering in search of heartwood he’d come across a large tree stand
彼はその智見(ñāṇadassana)に満足し、願うところをすべて成就したと思う。そしてその智見によって自らを高め他を蔑み、こう言う。「われは知り見ながら住している。しかるにこれら他の比丘たちは、知らず見ずして住しているのだ」と。かくして彼はその智見に溺れ、怠り、放逸(pamāda)に陥る。放逸となりたる者は、苦(dukkha)のうちに住する。 比丘たちよ、譬えばここに、心材(sāra)を求める者があったとしよう。心材を必要とし、心材を探し求めて遍歴する彼が、大きく聳え立つ心材豊かな樹に行き当たったとき、その心材をも辺材(pheggu)をも飛び越えて、枝葉を伐り取り、「これこそ心材なり」と思いなして立ち去るようなものである。これを目のある人が見て、このように……
関連テーマ: 苦しみ 執着 智慧 自己
導線タグ: 慢心,自己過信,怠慢,精神的成長の停滞,他者への見下し,放逸,努力の放棄

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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