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苦しみ 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN29 §4.28–5.14)

‘ahamasmi samāhito ekaggacitto, ime panaññe bhikkhū asamāhitā vibbhantacittā’ti. So tāya samādhisampadāya majjati pamajjati pamādaṁ āpajjati, pamatto samāno dukkhaṁ viharati. Seyyathāpi, bhikkhave, puriso sāratthiko sāragavesī sārapariyesanaṁ caramāno mahato rukkhassa tiṭṭhato sāravato atikkammeva sāraṁ atikkamma phegguṁ tacaṁ chetvā ādāya pakkameyya ‘sāran’ti maññamāno. Tamenaṁ cakkhumā puriso disvā evaṁ vadeyya ‘na vatāyaṁ bhavaṁ puriso aññāsi sāraṁ, na aññāsi phegguṁ, na aññāsi tacaṁ, na aññā
‘I’m the one with immersion and unified mind. These other mendicants lack immersion, they have straying minds.’ And so they become indulgent and fall into negligence regarding that accomplishment in immersion. And being negligent they live in suffering. Suppose there was a person in need of heartwood. And while wandering in search of heartwood he’d come across a large tree standing with heartwood. But, passing over the heartwood and softwood, he’d cut off the bark and leave imagining it was hear
「我こそは定(samādhi)に入り、心を一点に統一している。しかるに他の比丘たちは定に入らず、心はあちこちに散乱している」と。かくして彼は、その定の成就に溺れ、放逸(pamāda)に陥り、放逸であるがゆえに苦(dukkha)のうちに住する。 比丘たちよ、譬えばここに、心材を必要とし、心材を求め、心材を探し求めて歩き回る人があったとしよう。彼は心材を有する大樹の立っているところに来て、まさに心材を通り過ぎ、辺材を通り過ぎ、樹皮を切り取って「これが心材である」と思いながら立ち去るであろう。それを見た眼ある人は、かく言うであろう。「この方は実に、心材を知らず、辺材を知らず、樹皮をも知らなかった」と。
関連テーマ: 苦しみ 執着 智慧 自己
導線タグ: 慢心,自己陶酔,比較,精神的成長の停滞,見せかけの修行,本質を見失う,自己満足
⚠ 自己責任論に誤解されやすい

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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