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老い 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN12 §51.3–52.16)

Na kho panāhaṁ, sāriputta, abhijānāmi tesu pāpakaṁ cittaṁ uppādetā. Idaṁsu me, sāriputta, upekkhāvihārasmiṁ hoti. Santi kho pana, sāriputta, eke samaṇabrāhmaṇā evaṁvādino evaṁdiṭṭhino: Na kho panetaṁ, sāriputta, evaṁ daṭṭhabbaṁ. Tadāpi etaparamoyeva kolo ahosi seyyathāpi etarahi. Tassa mayhaṁ, sāriputta, ekaṁyeva kolaṁ āhāraṁ āhārayato adhimattakasimānaṁ patto kāyo hoti. Seyyathāpi nāma āsītikapabbāni vā kāḷapabbāni vā; evamevassu me aṅgapaccaṅgāni bhavanti tāyevappāhāratāya. Seyyathāpi nāma oṭṭ
But I don’t recall ever having a bad thought about them. Such was my abiding in equanimity. There are some ascetics and brahmins who have this doctrine and view: But you should not see it like this. The jujubes then were at most the same size as today. Eating so very little, my body became severely emaciated. Due to eating so little, my major and minor limbs became like the joints of an eighty-year-old or a dying man, my bottom became like a camel’s hoof, my vertebrae stuck out like beads on a s
しかし、私は彼らに対して悪しき思念を抱いたことが、かつて一度もなかったと記憶している。このように、私は平静心(捨)のうちに住していたのである。 一部の沙門・婆羅門たちは、次のような教義と見解を持っている。しかし、あなた方はそのように見るべきではない。 彼の地の棗(なつめ)の実は、当時も今日とほぼ同じ大きさのものであった。 かくも僅かなものしか食せなかったゆえに、私の身体は甚だしく憔悴し衰え果てた。食することの極めて少なかったゆえに、私の四肢の大小の節々は、八十歳の老人、あるいは臨終の者の関節のごとくなり、尻は駱駝(らくだ)の蹄のごとくなり、脊椎の骨は数珠の玉を糸に通したがごとく、一つ一つが突き出ていた……。
関連テーマ: 苦しみ 老い 正念 自己
導線タグ: 老い,身体の衰え,苦行,忍耐,平静心,孤独な修行,肉体的苦しみ

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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