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業・因果 中部経典 趣旨一致

中部経典(MN56)

Evaṁ me sutaṁ— ekaṁ samayaṁ bhagavā nāḷandāyaṁ viharati pāvārikambavane. Evaṁ vutte, upāli gahapati bhagavantaṁ etadavoca: “sādhu sādhu, bhante tapassī. Yathā taṁ sutavatā sāvakena sammadeva satthusāsanaṁ ājānantena evamevaṁ dīghatapassinā nigaṇṭhena bhagavato byākataṁ. Kiñhi sobhati chavo manodaṇḍo imassa evaṁ oḷārikassa kāyadaṇḍassa upanidhāya? Atha kho kāyadaṇḍova mahāsāvajjataro pāpassa kammassa kiriyāya pāpassa kammassa pavattiyā, no tathā vacīdaṇḍo, no tathā manodaṇḍo”ti. “Sace kho tvaṁ, g
So I have heard. At one time the Buddha was staying near Nāḷandā in Pāvārika’s mango grove. When he said this, the householder Upāli said to him, “Good, sir, well done by Tapassī! The Jain ascetic Tapassī has answered the ascetic Gotama like a learned disciple who rightly understands their teacher’s instructions. For how significant is the measly mental rod when compared with the solid physical rod? Rather, the physical rod is the most blameworthy for performing bad deeds, not so much the verbal
このように私は聞いた。あるとき、世尊はナーランダーのパーヴァーリカの菴羅園に滞在しておられた。彼がこのように言うと、在家信者ウパーリは世尊に申し上げた。「よくぞ仰せられました、尊者よ。タパッシーは見事に答えられました。かの耆那教の苦行者タパッシーは、まるで師の教えを正しく理解した博学な弟子のごとく、沙門ゴータマに答えられたのです。かの貧弱なる意の杖と比べたとき、強固なる身の杖は何ほど重大なものでありましょうか。されば、悪しき行為をなすにあたっては、身の杖こそが最も責められるべきものであり、口の杖はそれほどではないのです。」
関連テーマ: 業・因果 智慧 自己
導線タグ: 行為の責任,言葉と行動,悪い行い,道徳的判断,行動の重さ,善悪の基準,自分の行いへの後悔
⚠ 自己責任論に誤解されやすい

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経典
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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